パワハラ上司が嫌いすぎる【仕事を辞めたい時の4つの対策】
今の日本社会が抱えている大きな欠陥の中でも、とりわけ悩ましい欠陥は間違いなく、無能な人間であっても「上司」になりえる、ということだろう。きっと今日も、多くの社会人たちが無能な上司に苦しめられ「仕事を辞めたい」と心の中で叫んでいると思う。
残念ながら今の日本社会においては、コミュニケーション能力が低くても、統率力が低くても、その人間はあなたの上司になりえるし、弱い者イジメが好きな人間であっても、あなたを見下して大喜びするような腐った人間であっても、その人間はあなたの上司になりえる。
どんなに腐った上司でも、どんなにパワハラが酷い上司でも、その上司には職場内でのあらゆる権力が与えられているから、あなたはその人間と一緒に仕事をしないといけないし、どんなに仕事を辞めたいと願っても、あなたは毎日その人間の言うことを聞かないといけない。
たとえ、その人間があなたをバカにしながら説教しても、あなたはそれを黙って聞いていないといけないし、100%その上司が間違っていても「悪いのは私でした。すいませんでした」と、あなたのほうが頭を下げて謝罪しないといけないのだ。
さらに言えば、あなたがパワハラ被害にあって深く傷つき仕事を辞めたいと思っても、実際に仕事を辞めるのは恐らくあなたのほうで、その上司は仕事を辞めないだろう。とんでもない不公平だと思う。
あなたの受けるパワハラがどんなに酷くても、その上司は職場に居座り続けるだろうし、あなたがどんなにその上司を嫌いでも、その上司は明日も出勤してくる。
信頼できそうな先輩に上司のパワハラを相談してもダメだろう。「あの人は仕事の経験が長いから」とか、「役員に気に入られているから」とか、「学べる所もあるはずだから」といった変化球みたいな返事しか返ってこないと思う。
あぁ、落ち込んでいるあなたを横目に、あなたの嫌いな上司は今日もみんなからチヤホヤされている。いい気になって威張り続けている。あなたを見下しながら仕事をしている。これが今の日本社会の現状なのだ。
あなたが女性なら、この社会の欠陥はますます深刻だ。上司の中にはどうしようもなく腐った人間、つまり、権力を振りかざしてセクハラをしてきたり、ひどいケースだと性行為まで迫ってくる腐った上司だっているからだ。
あぁ、生活が苦しいから、上司には逆らえないからと、今日も女性たちが上司の言いなりになって涙を流している。心に蓋をしてハゲた上司の待つラブホに向かっている。これが今の日本社会の現状なのだ。腐ってるとしか言いようがない。
こんなことは絶対に許されない事態のはずだし、そんな腐った上司は一刻も早くクビに、いやむしろ監獄送りにすべきだと思う。それなのに腐った上司はクビにならないし、そんな上司に限って昇給したり出世したりする。
なぜだろうか。なぜこんな酷い現状が許されているのだろうか。なぜこんな腐った人間たちがあなたの上司になったり、こんな無能な人間たちが偉い立場についたりするのだろうか。
やはり彼らは仕事ができるからだろうか。やはり彼らには長年の経験があるからだろうか。あるいは、彼らはなにか特別な資質があるのだろうか。
どれも違う。彼らみたいな腐った人間たちがあなたの「上司」になれるのはひとえに、今の日本社会が欠陥だらけだからである。
ひとえに、今の社会がまだまだ未熟で、つぎはぎだらけで、ボロボロで、使い古されたお下がりで、どうしようもない不良品の寄せ集めでできているからである。
今の日本社会はまだまだ未熟の発展途上だ。だから、その社会システムも国民の幸せと経済成長のバランスをうまく取れていない。当然、応急処置的な雑な仕組みや、その場しのぎの荒療治が横行している。国民への弊害だって大きい。
「いい感じのアプリがないから」とデザインも機能もイマイチなアプリを、しょうがなくスマホに入れた経験はないだろうか。今の日本社会も同じである。「いい人材がいないから」とデザインも機能もイマイチな「上司」があらゆる職場にダウンロードされている。
このようなわけだから、例えあなたが「仕事を辞めたい」とか「会社に行きたくない」と思ったとしても、あなたは何も悪くない。むしろ、無能な人間に悩まされているのだから、あなたの反応はごく自然だと思う。悪いのは傷つけられる人間ではなく、人を傷つける人間なのである。
さて、この記事ではこれから、あなたの職場に生息している「上司」という生物に焦点を絞って考えていこうと思う。彼らの役割や本来のあり方について考えつつ、いかに現代社会ではそれらが失敗しているか、いかにパワハラ上司が野犬のごとく野放しにされているかを見ていこうと思う。
この記事を読めば、彼らの存在が日本経済にとって害悪でしかないことに気付くだろう。
記事の後半部ではさらに、そんなパワハラ上司の心と頭の中を分析し、彼らの思考パターンや思考回路について考察してみようと思う。実は、彼らのことを深く知れば知るほど彼らに対する不安や葛藤は消えて無くなる。というか、どうでもよくなる。
最後に、ちょっとひねった視点、つまりパワハラ上司を自分の頭と心の中から消す方法、あるいは味方に引き込んでしまう方法についても少し触れてみよう。仕事を辞めたいと思っても、あなたが仕事を辞めないに越したことはない。彼らの方からいなくなってくれれば、それが最善だろう。
- 会社の存在意義から考える「上司」の役割と本来のあり方
- パワハラ上司が「上司」の立場であり続ける、その理由と仕組み
- パワハラ上司の人間性を構築している思考パターンと動機
- パワハラ上司を消す、あるいは味方に引き込んでしまう具体的な方法
会社の存在意義から考える「上司」の役割と本来のあり方
「会社」とは結局のところパソコンや自動車と同じで、人間が自分たちの生活をより良くするために作り出した発明品に過ぎない。
その歴史は意外と浅く、日本で初めて「会社」というものが作られたのは1865年のことで、坂本龍馬によってつくられた「亀山社中(のちの海援隊)」が日本初の株式会社だと言われている。ちなみに、世界では1602年にオランダで作られた「オランダ東インド会社」が最初である。
「会社」も単なる発明品に過ぎないので、存続するためには世の中、そして人々の役に立ち続ける必要がある。この点は他の発明品、例えば、パソコンや自動車と全く同じである。
誰も、壊れて使えなくなったパソコンをわざわざ机の上に置き続けたりしないし、壊れて動かなくなった自動車をわざわざ持ち続けることはしないだろう。使えなくなったパソコンや自動車は容赦なく捨てられる。
会社だって同じだ。誰も、潰れて使えなくなった会社に出勤したりしないし、壊れて動かなくなった会社に注文の電話をかけたりしない。人々の役に立たなくなった会社は容赦なく潰れるのである。
このようなわけだから、会社の目的はパソコンや自動車の目的と同じで、人々の役に立ち続けること、人々の役に立ち続けて利用を続けてもらうことだと言える。
そして、会社という組織の一員に過ぎないのだから「上司」の目的もやはり、会社が人の役に立ち続けるのを助けること、会社が人々の役に立ち続けて支払いを受け続けるのを助けることだと言える。
これはちょうど、部品であるタイヤの目的が本体である自動車の目的と同じであることと一緒だ。自動車の目的がドライバーの安全であるのに、タイヤの目的が空を飛ぶことだとしたらどうだろうか。そんなことはあり得ない。タイヤの目的と自動車の目的は同じであるべきであり、目的が違うことは許されないのである。
上司も同じだ。上司も単なる会社の部品に過ぎないことを忘れてはいけない。部品である上司の目的は、本体である会社の目的と同じであるべきだと言えよう。会社の目的と上司の目的が違うことは許されない。あってはいけない。
そして会社の、そして上司の目的とは社外の人々の役に立ち続けること、社外の人々の役に立ち続けて利用を続けてもらうこと、つまり社会貢献である。
このようなわけだから、優秀な上司とはまず第一に会社の社会貢献を邪魔しない上司だろう。むしろ、自分から率先して社会貢献に集中し、部下たちが気持ち良く社会貢献に集中できるように社内環境を整える上司である。
部下たちが気持ち良く社会貢献に集中できるように「上司」と呼ばれる人間は、例えば以下のようなことができると思う。
- 朝、部下が気持ち良く仕事に取りかかれるようにコーヒーを淹れてあげる、あるいはそうなるように手配しておく
- 仕事中、部下が少しでも気持ち良く仕事をしてくれるように「困ったことがあったら何でも相談するように」と言っておく
- 部下は頼れる友人も必要としている。上司は、良き友人にもなれないといけない
- 残業時、部下より先に帰ってはいけない。上司であるということは、部下よりも社会貢献に熱心であるということである。上司は部下の良き手本であるべき
このようなことをやってのける優秀な上司が日本社会にどれほどいるだろうか。「コーヒーを入れるのはむしろ部下のすることではないか」「部下と友人に?ふざけるな」といった反応が普通だと思う。こういった反応をする上司はただ単に、自分の仕事が分かっていないことを露呈しているに過ぎない。
それにしても、今の日本社会には自分の仕事が分かっていない上司が多すぎる。上司の仕事とは会社の社会貢献の手助けをすることであって、部下を怒鳴り散らすことではないのだ。
部下が失敗した時、怒鳴り散らす上司が多すぎる。そんなことをしたら部下が不愉快になってしまう。不愉快な精神状態では仕事のパフォーマンスが落ちるのは目に見えている。部下のパフォーマンスとは会社のパフォーマンスなのだ。会社のパフォーマンスを下げる人間は会社の敵である。こんな単純なことが分かっていない人間など上司になるべきではない。
部下を怒鳴り散らすことと、部下を教えることの区別がつかない上司が多すぎる。こういった人間は部下と顧客の区別さえつかないのだろう。部下もある意味では上司の顧客なのだ。なぜなら、上司は部下を通して顧客に奉仕するからである。部下とは顧客への架け橋なのである。こんな基本的な事実に気付かない人間が上司になることは会社にとって害悪でしかない。
「優秀な社員が育たない」とぼやく上司がいる。今日もきっと、どこかの役員室か居酒屋の個室で「上司」と呼ばれる人間たちがぼやいているだろう。「うちの部下が育たなくてねぇ」と。そういうことを言う人間は大抵、自分が育っていないことに気付かない。
さて、エンジンや他の部品たちの足を引っ張るタイヤのことをどう思うだろうか。そんなタイヤなど早くゴミに出して、新しいタイヤに交換した方が車全体のためだと言える。上司だって同じだ。部下を傷つけるような無能な上司などさっさとクビにした方が良い。
CPU(中央処理装置)や他の部品たちの足を引っ張るメモリのことをどう思うだろうか。そんなメモリなど早く廃棄処分にして、新しいメモリに交換した方がパソコン全体のためだと言える。上司だって同じだ。部下を泣かせるような無能な上司は一刻も早く降格させるべきである。
しかしながら、ここで現代の日本社会の欠陥が浮き出てくる。この欠陥がまた、どうしようもない欠陥なのである。つまり、今の日本社会ではどんなに無能な上司であっても「上司」であり続けることが可能なのだ。
どんなに部下を怒鳴り散らすパワハラ上司であっても、部下を自分の性奴隷にするような腐った上司であっても、彼らは「上司」の座に君臨し続けることが可能なのだ。ひどい欠陥ではないだろうか。
次のセクションでは、このような欠陥を作り出している社会の本当の姿について、パワハラ上司が「上司」であり続けるその理由と仕組みについて説明しようと思う。
パワハラ上司が「上司」の立場であり続ける、その理由と仕組み
今の日本社会は欠陥だらけだから、本当に必要なものが用意されていなかったり、本当はどうでもいいものが手厚く用意されていたりする。
例えば、あなたが戦場で戦う兵士だとしよう。生き残るため、敵に勝つためにあなたが必要なものは何だろうか。まず第一に、敵の弾丸から自分を守ってくれる装備が必要だと思う。頑丈であればあるほどいい。それから自分を攻撃してくる敵を倒すための武器も必要になるだろう。
もし、あなたが戦場に出発するときに装備としてTシャツが支給されたらどう思うだろう。司令官はドヤ顔であなたに言うだろう。「これを着るように。このTシャツは有名なデザイナーにデザインしてもらったから開発費が1億円もかかっている」と。
あなたは思うに違いない。「お金をかける場所が違う」と。
あるいは戦地に向かっている途中、あなたはあることに気付くのだ。「あれ、武器はいつ支給されるのだろう」。武器のことを尋ねると、またしても司令官はドヤ顔でこのように言う。「それは必要ないだろう。私には武器の大切さが分からない」と。
あなたは思うに違いない。「何を言っているのだろう」と。
今の日本社会のいたるところで、これと全く同じ事態が起きている。今の日本社会では本当に必要なものが用意されていなかったり、本当はどうでもいいものが莫大な予算をかけて用意されていたりするのだ。
例えば、車を運転したいと思えば、あなたは必ず自動車教習所に通う必要がある。車を運転する国民は例外なく教習所に通う必要があるし、上手に運転できるようにならなければ路上に出ることは絶対に許されない。これは日本の法律で決められいるし、それを破れば無免許運転で罰則が科せられる。ドライバーの質と路上の安全に関しては、日本社会はあるていど成熟したシステムを持っているようだ。
では、会社を経営したい場合はどうだろうか。会社だってある意味、車と同じ乗り物だ。むしろ、車よりも危険な乗り物だと言える。操作の難しさで言えば車をはるかに上回るだろうし、乗車人数に関しても車のそれに匹敵、あるいはそれを上回ることは多いだろう。
車を運転する人が同乗者4人の命を預かる場合を考えて欲しい。とても大きな責任ではないだろうか。車を運転したいと思った人がこの責任を負えるようにと、日本社会は教習所を用意してくれている。
では、会社を経営する人が同乗者50人、あるいは100人の生活を預かる場合を考えて欲しい。とても大きな責任ではないだろうか。この責任に関しては、日本社会は何も用意してくれていない。経営者の質と職場の安全に関しては、日本社会は成熟したシステムをまだ持ってはいない。
もし仮に、車の運転に免許が必要ないとしたらどうだろう。教習所に通う必要もないし無免許運転をしても罰則がないとしたら、今の日本の路上はどうなっているだろうか。想像してみて欲しい。
みんな好き勝手に車を運転すると思う。制限速度だって守らないだろうし、曲がる時にウインカーが出されることもない。あちこちで自動車事故の煙が立ち上っているに違いない。車の運転を始めた人が、5年以内に大事故を起こす確率は間違いなく80%以上になると思う。
同じように、今の日本社会では、会社を経営するのにこれといった免許は必要ない。会社を経営するための試験も資格もないし、好き勝手に経営した場合の罰則もない。では、今の日本の職場はどうなっているだろうか。想像する必要はないだろう。
みんな好き勝手に経営している。社長や幹部たちの一定しない経営手腕、昔ながらの惰性、ひどい場合には独断と偏見によって経営がなされている。だから、あちこちで労働問題や訴訟の煙が立ち上っているし、新しくできた会社の80%以上が5年以内に潰れるのである。
本来社長は戦いに勝つための装備として「心地よい社内環境」に開発費をつぎ込まないといけない。そうしないと優秀な人材は流出するし、部下たちのパフォーマンスも下がる。部下のパフォーマンスとは会社のパフォーマンスである。ロゴやオフィスにお金をかける前に、もっとすることがあると思う。
本来社長は戦いに勝つための武器として「社会貢献」に集中しないといけない。それなのに社内で部下たちに貢献してもらうことばかり考えている社長が多すぎる。これでは「社会貢献」ではなく「社内被貢献」である。真逆である。真逆の方向に突っ走っている無能が多すぎる。
部下とは顧客への架け橋であることを忘れてはいけない。社長が忘れるべきは自分であって、部下たちのこと、部下たちのために心地よい労働環境を整えることは絶対に忘れてはいけない。
それにしても、今の日本社会が心地よい労働環境を維持する仕組みや経営者の質を管理するシステムを持っていないのはなぜだろうか。
答えは簡単だ。そこまで考えが至らない、考えが至っていたとしても回せる予算がない、予算があったとしてもその予算を回せる人材がいないからだ。早い話、今の日本社会はそこまで成熟しておらず、まだまだ発展途上、つまり未熟なのである。
日本は華々しく「先進国」なんて呼ばれているけれど、それは違う。経済成長や工業技術に限っては確かに先進国ではあるだろうが、心地よい労働環境や高度な経営技術に関しては先進国でもなんでもない。発展途上である。
今の日本社会は心地よい労働環境を守る法律が充実しているわけでもないし、高度な経営技術を浸透させるシステムがあるわけでもない。だからパワハラをする上司は野放しだし、部下を性奴隷にするような腐った上司も野放しなのである。
言ってみれば、あなたの職場内にまで法律の整備が追いついていないのだ。あなたの職場内はまだまだ無法地帯なのだ。これが、パワハラ上司が「上司」であり続けるその理由と仕組みである。
パワハラ上司の人間性を構築している思考パターンと動機
小学生の時、理科の授業なんかで顕微鏡を使った覚えはないだろうか。例えば、小さなミジンコを、ガラスでできたプレパラートに挟んで観察した記憶は誰にでもあると思う。ヒゲを生やした小さなミジンコたちがなぜかよく分からないけど一生懸命に動き回っている。そんな光景を目にしたはずだ。
今回もこれと同じことをしてみようと思う。つまり、職場に生息している「パワハラ上司」という生物をプレパラートに挟んで顕微鏡で観察してみるのはいかがだろうか。彼らはなぜあんなにカリカリと動き回っているのだろうか。
今回は彼らの知られざる生態に迫ってみようと思う。
最近の社会心理学はけっこう進んでいて、社会的な動物としての人間の欲求や欲望についてだいぶ深いところまで分かってきている。つまり私たち人間がなぜ動くのか、いったい何を求めて動くのかがだいぶ深いところまで解明されている。
あなたの職場に生息しているパワハラ上司も、この「社会心理学」という顕微鏡を使って観察してみるといいと思う。そうすれば、彼らの人間性やそれを構築している思考パターンや動機について、とても面白いことが分かってくるだろう。
まずは顕微鏡を準備しよう。パワハラ上司を観察するための顕微鏡として、今回は特に「人間の5大欲求」と私が呼んでいるものを使おうと思う。
ちなみに「3大欲求」という言葉はよく聞くだろう。「食う・寝る・やる」というものだ。これはこれで、まぁ、人間の基本的な性質を表しているとは思うが、人間の全体的な本質を説明するにはあまりに雑、大雑把すぎると思う。
顕微鏡の倍率で言ったら10倍か20倍だろう。もはやルーペレベルである。ルーペレベルの倍率では、あまり詳しいところまで観察できないので今回は使わないことにする。
さらに「5段階欲求」というのもある。これは人間の基本的欲求の説明として、アメリカの心理学者アブラハム・H・マズローが提唱したものとして有名だ。これを使ってもいいのだが、個人的には少し分かりづらいと思うし、「段階」とか「生理的」とか「自己実現」とかいう少しばかり難しい概念を含む言葉を使っている時点であまり好きではない。
顕微鏡で例えるなら、レンズが歪んでいて少し分かりづらい。英語から日本語への翻訳の過程でレンズが歪んでしまったのかもしれない。いずれにせよ、これも今回は使わないことにする。
このようなわけで、今回「パワハラ上司」を観察するため「人間の5大欲求」という顕微鏡を使おうと思う。この顕微鏡はとても精度が高くレンズも歪んでいないので、この顕微鏡を使えば「パワハラ上司」の生態を楽しく観察できるだろう。
さて、「人間の5大欲求」とは以下である。人間は本質的に以下の5つの欲求を持っており、この5つの欲求を満たすために動き、この5つの欲求を満たすために日々の生活を送っている。
この点から言えば、人間の心から湧き出てくる願いや欲求はすべて以下の5つのいずれかに分類されるし、それゆえに、人間がとる思考や言動もすべて以下の5つのいずれかに分類される。
- 生命維持の欲求(食べたい、寝たいなど。存在の維持)
- 生命保護の欲求(怪我や事故を避けたいなど。存在の保護)
- 自己確認の欲求(自分を知りたい、人と会話したいなど。存在の確認)
- 自己肯定の欲求(友達が欲しい、否定されたくないなど。存在の肯定)
- 自己有能の欲求(優秀でありたい、特別でありたいなど。存在の有能)
「人間の5大欲求」について簡単に説明しておこう。私たち人間はとても効率的に「生きる」ことができるように、本能の奥深い部分で5つの欲求プログラムが協働しながら動いている。私たちの本能の奥で5つの歯車が回っていると考えてもいいだろう。
1.生命維持の欲求
5つある中で最も根本的なもの、それは、自分の存在を維持するための生命維持プログラムである。これは5つのプログラムの中で最も根本的なものなので、5つの中でも特に強力に働くプログラムになっている。
生命維持とはつまり、食べることや寝ること、性交によって子孫を残すことなどが挙げられる。私たち人間にとって、こういった活動は何よりも優先されがちだと思うけど、それは私たちの本能の奥深くで生命維持プログラムが強力に働いているからだ。ちなみに、ちまたでよく言われる「3大欲求」とはこの部分の説明に過ぎない。
2.生命保護の欲求
次に大きな欲求は、自分の存在を保護するための生命保護プログラムだ。生命保護プログラムは、生命維持プログラムと同じくらい重要な役割を担っている。
例えば、サバイバルゲームの時に食料を確保したその次にすべきことは何だろうか。それは、食料を保護することだと思う。食料をあらゆる敵から保護しないといけない。同じように人生のサバイバルにおいても、生命が維持された次になされるべきは生命の保護である。生命保護プログラムは、私たちを生活上のあらゆる危険から守ってくれている。
3.自己確認の欲求
生命維持と生命保護が確保されると、つまり身の安全が長いこと続いていると、人は自分自身のことが気になりだし、自分自身について深く考え始めたりする。自己確認プログラムが動き始めた証拠だ。
喫茶店でぼーっと自分の現状や将来について考えたり、わけもなく鏡に映る自分を眺めたりした経験はないだろうか。これは「自分を知りたい」「自分を他人と比較したい」「自分を認識したい」という自己確認プログラムの出力結果と言えるだろう。自己確認プログラムがあるおかげで、私たちは自分と他人とを明確に区別することができている。
4.自己肯定の欲求
自分を知ることと同じくらい大切なのは、自分を肯定すること、自分を否定しないことだと思う。私たちは誰しも自分自身、そして周りの人たちから大切にされたいと願っているし、自分自身、そして周りの人たちから否定されたくないと願っている。これも全て本能の奥深くで回っている歯車の働き、つまり自己肯定プログラムがきちんと動いている証拠である。
仮に、ずっと食事をしていないと生命維持プログラムが警告音を発し「お腹が空いた」とか「お肉を食べたい」といったアラーム的な願いや思考が湧いてくる。同じように、他人から否定されたり長いこと褒められていないと自己肯定プログラムがアラーム音を発する。結果、「否定されたくない」とか「尊重してほしい」といった願いや思考が湧いてくる。自己肯定プログラムは、人間が人間らしくあるために働くプログラムだと言えるだろう。
5.自己有能の欲求
最後は、自己有能プログラムである。この欲求も他の4つのプログラムと同じように本能の奥深い部分で力強く働いている。自己有能プログラムは、私たちに「特別でありたい」とか「優秀でありたい」といった願いや欲求を生み出すプログラムだ。
私たちにとって「特別であること」や「優秀であること」は食べ物や安全と同じくらい、あるいはそれ以上に心惹かれる事柄だと思う。若い学生たちが「東京大学」や「京都大学」といったエリート名門校を目指して必死に勉強したり、大人たちが「部長」や「上司」といった肩書きに魅力を感じてそれにこだわったりするのはこのプログラム、つまり自己有能の欲求を満たそうとしている分かりやすい例である。
ちなみに、子供が日が暮れるまで砂山を作ることに夢中になっていたり、老人が年老いてもなお何かを学ぼうと図書館に通ったりするのも自己有能プログラムの働きの結果である。自己有能プログラムがあるおかげで、私たちは生涯にわたって何らかの分野で向上を続けようという動機付けを得られている。
以上が私たち人間が動く仕組み、私たちの思考と言動を生み出しているメカニズムの全貌である。
さて、顕微鏡の準備が整ったようである。忘れてはいけない。パワハラ上司はプレパラートに挟まったまま、あなたに観察されるのを待っているのだ。
あまり長いことプレパラートを放置してはいけないので、早速、プレパラートを顕微鏡のステージの上に置き、レンズを覗き込んでパワハラ上司を観察してみよう。さて何が見えてくるだろうか。
パワハラ上司がカリカリと職場内を動き回っているのが見える。「上司」という権力を振り回して、部下たちを怒鳴り散らしているのが見える。そして偉そうに説教を垂れているのが見える。
結論から言えば、パワハラ上司があんなに威張っているのは、「人間の5大欲求」の5番目の欲求、「自己有能の欲求」を満たそうとしているからである。彼らはただ単に、自分たちの「自己有能の欲求」を満たそうとしているに過ぎない。
ミジンコが餌となるバクテリアを求めて動き回っているように、彼らも「自分が特別であること」や「自分が優秀であること」の理由を求めて動き回っているのである。
部下たちに対して偉そうに説教している時、パワハラ上司は心の中で「こいつらは何も分かっていない。こいつらは仕事ができない」と思っている。しかし最終的には必ず「でも、俺は何もかも分かっている。俺は仕事ができる。俺は特別だ」という思考に落ち着く。絶対にそういう思考パターンをたどる。こうやってパワハラ上司は自分の自己有能の欲求を満たしている。
あるいは、あなたをバカにしながらパワハラ上司は言うかもしれない。「おまえバカじゃないの?こんなことも分からないの?やる気あんの?」と。これも最終的には必ず「でも、俺はバカじゃない。俺はちゃんと分かっている。俺は優秀だ」という思考につながっている。必ずそういう思考パターンをたどる。こうやって、パワハラ上司は自分の自己有能の欲求を満たしているのだ。
もちろん、自分の自己有能の欲求を満たすこと自体は悪いことではない。実際、私たちだってあらゆる方法で自分の自己有能の欲求を満たしながら日々の生活を送っている。例えば、誰だって勉強を頑張って資格を取得したり、ブランド品や高級品を身につけたりした経験はあるだろう。これは他人に迷惑をかけない形で自分の自己有能の欲求を満たす良い方法だ。
問題は、パワハラ上司が他人に迷惑をかける形で、あるいは他人を傷つける形で自分の欲求を満たしている点にある。他人に迷惑をかける形で自分の欲求を満たすとすれば、それは悪い方法、間違った方法だと言える。他人に迷惑をかけて自分の欲求を満たす人間は実質的に害悪である。
このことは日本の法律においても、ある程度は応用されている。実際、日本の法律は盗みを禁じており、例えば食い逃げをした人間に対しては罰則を科している。なぜなら、食い逃げをした人間は店主に迷惑をかける形で自分の欲求を満たすからだ。自分の欲求を満たすためとはいえ、他人に迷惑をかけることは許されない。
さらに、食い逃げをした人間が追いかけてきた店主を殴りつけて傷つけた場合、彼にはより重い罰則が科される。なぜなら、食い逃げをした人間は店主を傷つける形で自分の欲求を満たしたからだ。自分の欲求を満たすためとはいえ、他人を傷つけることは許されないのである。
このように日本の法律でも、誰かに迷惑をかける形で自分の欲求を満たす人は犯罪者になり、誰かを傷つける形で自分の欲求を満たす人はより重い犯罪者となる。
この観点から言えば、あなたをバカにしたり傷つけたりして自分の欲求を満たすパワハラ上司はその人間性に大きな問題を抱えており、社会にとっては害悪、本質的には犯罪者である。ただ法の整備が追いついていないので、そんな犯罪者があなたの上司なのである。
日本社会は発展途上、まだまだ未熟なのである。
パワハラ上司を消す、あるいは味方に引き込んでしまう具体的な方法
そもそも他人を傷つけるような犯罪者と一緒に仕事をするのはとても大変であろう。ましてや、そんな犯罪者が自分の上司だとしたら、そんな環境は過酷だとしか言いようがないだろう。
でも実際に、そんな過酷な労働環境の下で多くの人たちが働いているし、多くの人たちが実際に上司の圧政的なパワハラに苦しんでいる。この現状を踏まえれば、今の日本社会において上司が嫌いになったり「仕事を辞めたい」と感じたりする人が大勢いるのは当然だと思う。
しかし今の日本社会は発展途上だし、あなたの職場内にまで法の整備が届くのはまだまだ先のことだろう。だから当面は、あなたを苦しめるパワハラ上司が法廷で裁きを受けることはないだろうし、職場からいなくなることだってない。
これは早急に何か応急的な対策が必要である。この点について少し考察してから今回の記事を締めくくろうと思う。
パワハラ上司を消す方法
上司に嫌がらせをして退職させる方法や、同じ不満を持っている同僚たちと協力して上司を職場から追い出す方法などもあるにはあるだろうが、これは非現実的な方法だと思うし、他人を傷つけることを批判する本記事の趣旨にも反している。
そもそも、上司を職場から追い出せるくらいの影響力を持っている部下などほとんどないだろうし、同僚たちが協力してくれる場合だってほとんどないだろう。万が一、上司を精神的に追いやって職場から追い出す計画を立てられるとしても、それには必ず大きなリスクが伴う。
何のリスクも取らずに、上司が自分の目の前からいなくなってくれればそれに越したことはないと思う。抜本的な対策は後々の考察に譲るとして、応急的な対策があるにはある。この点について少し考察してみようと思う。
さて、あなたの目の前に、例えばあなたの目から10センチくらい離れたところに左手の人差し指を持ってきてほしい。そしてそれをじっくりと観察してみて欲しい。
きっと人差し指のシワや指紋の細かいパターンが観察できると思う。油で光ってテカテカしている様子も観察できるかもしれない。あなたの目の焦点が、目の前の人差し指に集中しているからだ。
では次に、左手の人差し指は目の前に置いたまま、今度は右腕をピンと前に伸ばして、右手の人差し指の方に目の焦点を合わせて欲しい。そして例えば、指のシワの本数を上の方から数えてみて欲しい。すると、どうだろうか。目の前に置いていた人差し指が、あなたの頭から消えるのである。
これは、焦点を別の場所に集中させることによって目の前の対象物を頭から消す物理的な方法である。人の認識というものは一度に一つのことにしか集中できないようにできているので、この脳の性質をうまく利用して目の前の指を頭から消している。
視界にはボヤーっと面影が映ってはいるだろうが、あなたの意識からは完全に左手の人差し指は消えているだろう。だから、そのシワも指紋の細かいパターンもぼやけてしまって何が何だかよく分からない状態になっているに違いない。
これを精神的な方法に応用すると、パワハラ上司も消えていなくなる。さっきまで目の前にいてガミガミと説教を垂れていたのに、彼の発している言葉がだんだんとぼやけてきて、最終的には何が何だかよく分からない状態、どうでもいい状態になってくる。
そもそも、他人に迷惑をかけてまで私欲を肥やすような人間の言うことに注意を払う必要などないと私は考えている。もちろん自尊心に余裕がある時には、その時にはまぁ暇つぶしにでもパワハラ上司の説教に注意を払ってみてもいいだろう。
人はミジンコからでも何かを学ぶことができるのだ。これは人の持つ奇跡的な洞察力のなせる技だと思う。ひょっとしたら、目の前の生物が人間性に大きな欠陥を抱えているということのほかに何か学べるかもしれない。
しかし私はそれをお勧めしない。くだらない人間の言うことは、どうせくだらないことだから。それよりも私は上司よりもずっと遠くに、その上司が消えていなくなってしまうほどずっと遠くにあなたの焦点を合わせることをお勧めしたい。
つまり、あなたの大切な将来に意識を集中させることによって、くだらない上司が足元に転がっている小石みたいな存在になれば良いと思う。蹴飛ばしてしまうくらいがちょうどいい。
パワハラ上司を味方に引き込んでしまう方法
次はちょっとひねった方法だ。つまり、パワハラ上司を自分の味方に引き込んでしてしまうのはどうだろうか。そうすればパワハラ上司は「パワハラ上司」ではなくなる。
先ほど考えた通り、パワハラ上司が部下たちを怒鳴り散らしている時、これはなにも恐ろしい現象が起きているわけではない。彼らはただ単に自分の自己有能の欲求を満たそうとしているに過ぎない。
本質的には、そば屋でそばをすすっているのと全く同じである。「ズズズ」と音を立てて蕎麦をすすっている人間は自分の食欲を満たそうとしているだけである。同じように、「ガミガミ」と音を立てて部下をバカにしている上司は自分の欲求を満たそうとしているに過ぎない。
ミジンコが餌となるバクテリアを求めて動き回っている様子に例えることもできる。上司も「自分が特別であること」や「自分が優秀であること」の理由を求めて動き回っているのである。ようは、お腹が空いているのである。
ここであえて、上司を餌付けしてみるのはいかがだろうか、というのが今回の私からの提案である。上司もしょせん人間であるから、食べ物をくれる人に対しては好感を持つだろうし、自分が欲しいものを定期的にくれる人に対しては愛着すら持つかもしれない。
上司が部下をバカにしたり権力を振り回したりするということは、裏を返せば「もっと特別扱いして欲しい」とか「もっと尊敬して欲しい」というサインの表れである。ようは、お腹が空いているのである。
そうであれば、ここであえて上司が欲しがっているもの、例えば尊敬の言葉であるとか感謝の言葉であるとかを与えてみるのはいかがだろうか。
例えば、パワハラ上司は言うかもしれない。「おまえバカじゃないの?こんなことも分からないの?やる気あんの?」と。彼は自分が特別である理由、優秀である理由を欲しがっているのである。欲しがっているなら与えてやればいいだろう。こんな感じのことを言うことができるかもしれない。
「はい。わたくしは当然のことながら上司よりバカでございます。だから上司の指導を必要としているのでございます。理解の遅いわたくしではございますが、どうぞご指導のほどよろしくお願い致します」
こう言った言葉を発するには、あるていど自尊心に余裕がないと難しいとは思うが、こう言った言葉は意外とパワハラ上司を変えたりする。こんな言葉があなたの口から出てくるとは夢にも思っていない上司は、最初の頃は戸惑ったり、あるいはますます調子に乗ったりするだろう。
しかし、このような言葉は上司の自己有能の欲求をことごとく満たすし「自分は特別なんだ」という上司の思考パターンと合致するものであるので上司はあなたの発言を否定することができない。「こいつ、意外と分かってるやつなのか?」と、このようになる。
あなたの自尊心が多少削られるとは思うが、前述のような上司の思考パターンと合致するような発言を粘り強く続けていると、たいていの場合、上司のあなたに対する態度は変わってくると思う。「こいつ、意外と分かってるやつなのか?」が「こいつは俺のことを理解してくれている」に変わったりする。
こうしてパワハラ上司はあなたのことを自分の理解者だと考えるようになる。ここまでくればあなたの作戦は成功だ。あなたは見事に、パワハラ上司を自分の味方に引き込むことに成功したのである。
ちなみにパワハラ上司を味方に引き込んでしまうより具体的な方法は、カテゴリー「社内出世の方法について(未定)」で詳しく考察しようと思う。興味がある方は参考にして欲しい。
注意:上司に性行為を強制されている場合
もしもあなたが上司に性行為を強制されている場合、そしてその状態からどうにかして逃れたいと考えている場合、その場合に何ができるだろうか。私の考えを少し述べようと思う。
率直な感想としてその状況は少し厄介だ。その上司はきっと自分の保身のためにあなたを脅迫しているだろうし、あなたを縛りつけておくためにあなたの弱みを握っている可能性が高い。そんな計算高い人間が敵だとしたら、こちらも賢く行動しないといけない。例えば脅迫の発言を録音しておいたり、脅迫現場を録画しておいたりする必要があるだろう。訴訟を起こす際に有利となるような証拠を集めるためにプロの手を借りる必要も出てくるだろうし、勝訴後に相手が嫌がらせをしないための根回しだって必要になってくる。
ここまでになってくるとそれはこのサイトの範囲を超えてしまう。あなたの助けになると思われるサイトを紹介するので参考にして欲しい。(未定)
まとめ
本記事では、現代社会が抱える悩ましい欠陥、つまりどんなに無能な人間であってもあなたの上司になりえること、あなたを傷つけるような腐った人間であってもあなたの上司になりえること、その原因と対策について考えた。
この記事を通してあなたの職場、あるいは一般的な職場が実は欠陥だらけだということを理解して頂けたと思う。労働環境の整備において今の日本社会は発展途上、まだまだ未熟であることも理解して頂けたと思う。
* 目次ページ へ戻る